2018年4月15日日曜日

【歴史本】伊都国を掘る【自著紹介】

 さて、「継続しての日本古代史」の参照本の紹介の2冊目は、考古学者・柳田康雄の「伊都国を掘る」です。伊都国を掘るは、その名の通り伊都国にある王墓の発掘に携わった著者の集大成的な著作と言えます。一言で言ってしまうと、弥生時代に九州北部にて発達した王権が、畿内での原始ヤマト王権に繋がっているのではないかという仮説が書かれおります。そして、現在の糸島市における平原遺跡の発掘遺物から推論して、その被葬者は太陽祭祀を主宰した女王であり、彼女こそ魏志に載る邪馬台国の女王・卑弥呼その先代ではないかと推測されています。

 ここで重要な点は、平原王墓で発掘された鏡の状況を見ると、幾何学な文様で太陽の輝きを象徴した「内行花文」の文様を持つ鏡が5枚も発見されているということです。更に注目するべき点はこの5枚の銅鏡は日本最大の大きさであり、尚且つ「説文解字」が示す「八咫」と同じ円周の長さを持っている点です。「継続しての日本古代史」では、この太陽の象徴としての「内行花文鏡」が伊勢における「八咫鏡」への祭祀へと繋がりがあるのではないか、という視点を縦軸として論考を進めています。

  世間では、卑弥呼の鏡といえば「三角縁神獣鏡」であって、「内行花文鏡」の知名度は、よほどのマニアでないとピンと来ないと思います。しかし、魏から拝領した鏡が仮に「三角縁神獣鏡」ような神獣や神仙思想をモチーフにした鏡であったとしても、銅鏡100枚という尋常ならざる枚数を拝領した事実に、倭国側からの事前のリクエストがあったと考えれば、「三角縁神獣鏡」の前、魏との交流前に倭国で尊重された鏡こそ最も重要なものであったと考えることができます。そして事実、魏との交流前の日本で、伊都国の地で、太陽を象徴した銅鏡を依り代にした巫女による太陽祭祀の跡が考古学的な事実として我々の眼前にあるわけです。

  伊都国での太陽祭祀こそ、正に現在の我々が未だに根底に保持している日本的な文化そのものではないか、という命題を「継続として日本古代史」では論証しようとしました。誰も褒めてくれませんで、敢えて自分で書きますと、私はこの点をほぼ完璧に論じ得たと思っています。是非一読して、その出来の如何を判断して頂けましたらと思います。

 次回は、魏志の読みについての文献の紹介として、少し古い本になりますが、三木太郎の「魏志倭人伝の世界」を紹介したいと思います。


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